石塚千喜ってどんな人?

1972年神奈川県生まれ 蠍座B型 3姉妹の次女
10歳男・8歳女・2歳男の3人の子を持つ母。(2019年7月現在)

2017年7月に、株式会社くのいちデザインを設立し、現在も経営中。
女性が働きやすいクリエイティブ組織を作りたいと日々奮闘。

 
ー 子供時代 ー

着物屋で生まれ育つが、蝶よ花よと育てられた覚えはなく、
小学校に入る前からお店の手伝いをよくしていた。
特に、着物以外にお葬式でお香典のお返しに配るもの、
タオル・靴下・シーツとかを納品するまでのお手伝いが突発的にあった。

お葬式だから、結構突然くる。小学生になると
今日はお葬式だから早く帰ってきて〜と言われ、
帰ると段ボールが山積み。それを検品、包装し、のし紙つけて納品。
私は、ほぼ下っ端なので、検品が主な仕事。

あと、みんなの紙がない、テープがない、商品がないというのを
無くなりそうな時期を見計らって供給。
妹が幼稚園の時とかは、仕事がなくなると、よく段ボールに入ってサボるので、
それのチェックや注意もしたり。

3件重なる時とかもあって、ご飯やお風呂以外は、家族6人(ばーちゃんもいた)で
集中して作業してた。朝も早めに起こされて、サクッと食事して
ギリギリまで作業して、車でとーちゃんに運んでもらうこともたまに。
高校くらいまで、かなり手伝った覚えがある。

年末もお店のタオルたたみやら、棚卸しを手伝ったり、
夏休みは、お店に来る人の子供用に巾着袋をひたすらミシンで作ってた。
お店の手伝いは好きだったけど、
料理をつくったり、家事には全く興味なしの人間でした。

 
ー 就職・迷走時代 ー

将来は、着物か洋服を作る被服系かデザインの美術系の職人になりたかった。
特に、グラフィックデザイナーという職業が、
肩書きが華やかな割に地味な職人業の仕事と言うことに興味があり、
職人になりたかった私はやってみたいと思った。

でも、団塊ジュニア世代の大学受験は厳しく、当時、大学で美術系の倍率は20〜40倍、
1浪しないと入れないと言われ、かといって専門学校より大学を出てる方が
将来的に心象がいいのかな〜?なんて思い、被服科の短大を選択。
夜間にグラフィックデザインを1年間勉強した。

就職は、和服や洋服を作るより、デザイナーの職につきたかった。
だったら、デザインの専門学校に入るべきだったと思い知ったのは、
もっと後の話だったけど、とにかく被服科で広告代理店やデザイナー職を探しても
私が行きたいと思えるような、いい就職先はなかった。
(受けてみたら、営業職やオペレーター職ばっかりだったので)

でも、営業やりたくないとか、言ってたら、10社くらい全部落ちた!
バブル崩壊して、就職氷河期時期というのもあって、卒業までに就職が決まらず、
営業やりたくない、って言うのがいけないかと思い、
下着の訪問販売のアンケートとりの仕事をアルバイトで半年やった。

アルバイトだけど、この仕事、1件1件をドアを叩いてまわり、
下着のアンケート取ってます〜と言いつつ、補正下着に興味があるか聞き、
興味ある人に、今、下着のアドバイザーがこの辺を回っているから、
話を聞いてみてと誘導。そして、アドバイザーが下着などを売る。という感じ。

売上表とかあって、私の成績は下の方。辞めたい辞めたいと
連日思っていたが、今思うと、これより辛い仕事はないかも。
相当、メンタル的にも、営業スキル的にも鍛えられた仕事でした!

で、その半年間にデザイナーになりたいと面接に行って、
3ヶ月以上決まらなかった会社があって、しつこく連絡したら
根性ありそうだから、と採用されて、デザイナーのアシスタントを始めた。

 
ー サラリーマン時代 ー

20歳で務めた1社目で、は7〜8人の小さな会社で、
パッケージやエディトリアル、広告など、それなりに楽しい仕事をやってました。
2年弱つとめて、50人くらいの会社に転職。

ちなみに、1社目途中22歳で結婚。転職の次の会社へ行く前に新婚旅行。
2社目の途中、24歳で離婚。子供はいなかった。

22歳で入った2社目は、大手広告代理店をはじめとする代理店から受注する広告制作会社。
広告キャンペーンで、ポスター・新聞・雑誌・交通広告などを一気に作る仕事。
週のほとんどがタクシー帰りだったかも。まあ、夜中1〜2時に終わって
さらに飲んで帰る日々だったりも。6年半くらい務めた。

2社目で働くも28〜29歳、色んなことに行き詰まった。
会社を辞め、ロサンゼルスで1年半過ごす。午前中は英語の学校、
午後は広告代理店で仕事、最後の方はお金がなくて寿司屋でバイト。

で、結局、ロサンゼルスから帰ってきて、
金なし、家なし、彼氏なしとなりながらも、派遣を始める。
派遣の1年で、120万円位貯めてフリーランスとして独立。

 
ー 個人事業主と会社設立 ー

2005年2月、31歳、個人事業主を始める。
異業種交流会に行って顔を出したり、昔の仕事仲間に声かけたりして
運が良かったこともあり、当初から派遣でもらえるくらいは稼げた。

2年目を過ぎた頃には忙しくなり、人を雇い始める。
その後、2人目を雇って半年もしない、2008年秋、リーマンショックに。
ちょうど、その9月・10月に第一子の妊娠が発覚。すでに産むときは36歳で高齢出産。
一応、ギリギリ8月に入籍してた、笑。

大きな仕事もなくなり、雇っていた人もその年に辞めてもらうことに。
一人で細々と仕事をしながら、今仕事を取りに行っても大変な仕事しかないので
無理に仕事を取りに行かず、WEBの勉強を始める。

起業家達が、いいと言っていたWordPressを試したら、色々すごくて、
これがわかってデザインができたらいいなと思い、カスタマイズも始める。
でも、最初は全然うまく行かず、1年半位して、ようやく全体的な作りが見えた気がした
(遅いけれど、まあ、仕事と育児の合間に勉強をしてたりする)

それからは、知り合いのサイトを作っては、WordPressのカスタマイズをしていった。
基本は、あるテーマのデザインを変えるところから始め、
PHPはたまに書き換えていく程度でした。

そういえば、リーマンショックが起こって1ヶ月後、株投資を始める。
仕事の合間にやっていて、10年弱で1000万近く貯めて、資本金に当てた。

42歳。3人目がなかなかできないので半ば諦め、
子供2人がそこそこ大きくなったこともあり、ちゃんと事務所を借りて仕事をすることに。
人を雇って半年過ぎ、まさかの3人目の妊娠が発覚! 44歳で出産!!
3月に出産したが、同年7月に株式会社を設立した。

ちなみに、ダンナは広告代理店出身者ですが、
今は主夫で家事のほとんどをやってもらっています。
私も家事はそれなりにやってるつもりですが、全然追いつかない・・・
何はともあれ、とにかく、走り続けている毎日です〜